なぜ今、筆者が英語を使えるのか、人生を振り返る②:海外大学院編

2017/05/25

前回の学部生編の反応が(なぜか)良かった。

続きで、大学4年生で海外大学院を目指したところから、修士号を取得して博士課程に受かるまで、どう英語を勉強してきたのか首尾よく書いて行く。

海外大学院の出願とTOEFLの準備

ブリティッシュ・コロンビア大学のIrving K. Barber図書館

大学3年生の秋からブリティッシュ・コロンビア大学に留学し、4年生の5月初旬に日本に帰国した。

大学院(修士)を視野に入れていたので帰国から1ヶ月後の6月にTOEFL iBTを受験した。

85点 (R 27 L 18 S19 W21)だった。

渡航前に受験した点数が81点だったと思うので、8ヶ月近く海外の大学で学んでも4点しか伸びなかったことにガッカリしたのを覚えている。

それを機に初めて青の公式TOEFL本を買って、本格的にTOEFLの勉強し始めた。(当時は2回分の過去問しか収録されてなかった。)

勉強法・戦略に関しては[改訂版]TOEFLテスト 一発で合格スコアをとる勉強法を読んだ。

(2017年の今でこそ、ETS公式の赤の過去問が2冊[]、戦略・勉強方法本[Writing本のオススメ]も数多くあるが、当時はなかった。当ブログを始めたのもそれがキッカケだった気がする。)

本格的に大学院の準備に取り組み始める

経済学が面白く(後に学部レベルまでだったことに気づく)、引き続き勉強したいとも思っていたがそれ以上に自分の思考と価値観を人生で初めて肯定してくれたカナダの環境が恋しかったのが本音だった。

大学院の選考においてTOEFLや他の英語資格は重要ではなく、各大学の出願要件に載っている英語基準を満たせば良い。むしろ、本当に優秀な生徒であれば、英語基準を満たしていなくても仮合格をもらえる。

私は交換留学したブリティッシュ・コロンビア大学、あとヨーロッパへの興味と経済学の超名門であることからLondon School of Economics、それに少し劣るがウォーリック大学に興味があった。

英語基準はTOEFL iBTでブリティッシュ・コロンビア大学が80点、London School of Economicsが100点、ウォーリック大学が92点だった。

ただ、TOEFLのスコアが本当に必要な理由は奨学金であり、大学院レベルの一部の奨学金の出願要件はTOEFL iBT 100点以上だった。

ちなみに、帰国してから住居・食費・光熱費は両親に依存、その他の生活費用は給与と貸与奨学金を使っていた。(しっかり勉強して、将来良い仕事に就けば良いと思っていた。社会人になり、それは基本的に正しかった。)

大学4年生の夏から卒業までTOEFLを6回受験

①研究計画書、②志望動機(Statement of Purpose)、③教授の推薦状、④奨学金の出願の準備と同時並行で⑤TOEFLの勉強をし始めた。

余談だが、大学院の準備は情報収集が非常に大事。当時、Wordpressのようなブログ作成ツールは新しく、ブログは多くなかったが私は20くらいのブログを参考にした。大学のネームバリュー、成績と研究業績、学会で強力な教授の推薦状は一番大切である。)

帰国してから3ヶ月経った8月、再びTOEFLを受験し88点 (R25 L21 S22 W20)だった。

秋以降は大学の成績(GPA)上げと引き続きTOEFLの勉強と奨学金の出願に励んだ。

TOEFLは青の公式本を終えた後は、Barron’sに取り組んだ。当時から7回分のComplete Practice Testsを含み、本番と近い形式かつ少し難しめ問題だった。

KaplanLongman、日本の出版社の参考書と色々と試したが、問題数が少ない、易しすぎる、形式と傾向が本試験と違うなどあまり良いと思わなかった。

※現在、ETSから15回分のPractice Testsを入手できるので、非常に楽になった。(また、Barron’sのほかに少し本番より易しいがDeltaも質が高く、Practice Testsの数も多い。戦略に関してはPrinceton Reviewが良い。

(TOEFL iBTは難しくて質の高いテストだったので、Practice Testを作るのは並みの出版社ではできないことだった。部分的な問題だけを収録している参考書がたくさんあった。 )

Reading、Listeningの各1題に毎日取り組み、SpeakingとWritingを交互に1日1題取り組んだ。

1日2時間〜3時間ほどの学習量だった。

  • 11⽉には96点 (R27 L25 S22 W22)
  • 1⽉には99点 (R26 L26 S23 W24)
  • 2⽉には97点 (R28 L26 S19 W24)
  • 3⽉には86点 (R27 L17 S18 W24)→途中で集中力が切れる

と帰国してから合計で6回受験したが99点が最高点だった。(半年強で85点から99点の14点アップは良い方だと思う。)

今思えば、Speakingは実力不足もあったが、コツや要領を分かっていなかった。(後に言われる純ジャパの壁、23点に引っかかる。)

GREは秋頃に1ヶ月かけて勉強し、Quantitativeで90%以上を取った。Verbalもあるが、経済学部は考慮しないと言われていたので、勉強しなかった。

ちなみに、大学院の全額給付奨学金に6団体ほど出願したが、全て不合格だった。(成績や志望理由に自信はあったが大学名が敗因だったと思う。しかし、自分を成長させてくれた大学には大変感謝している。)

もう大学院の出願は済んでいたが3月になり大学の成績が出て、ほとんどの科目で100点を出し、GPAを大幅にあげた。

そして、大学の卒業式の翌日にUBCから経済学の修士課程に受け入れのe-Mailを受け取った。

London School of Economicsは不可、ウォーリック大学は奨学金がダメだったので出願をやめた。

他の大学には出願しなかった。ブリティッシュ・コロンビア大学で良い成績を修め、教授から推薦状を受け取っていたので合格する可能性が高かった。リスク回避の必要性が無かった。

就職活動は情報を集めただけで行動しなかった。

海外大学院とTOEFL 100点超えるまで

海外大学入学まで大学院についていけるように経済学と数学の海外の教科書を読んでいた。卒業した自分の大学の大学院の授業も取ってみた。

というのも商学部卒だったので、経済学の専門的な知識が足りていなかった。

<余談:経済の大学院入学までにした準備>

経済学:

数学:

大学院レベルの経済学は大学院から始めても十分に間に合う。むしろ実解析までの数学の準備をする方が優先度は高い。

また、大学院に行く前にTOEFLを改めて勉強し、渡航直前の7月にもう一度受験した。しかし、結果はほとんど変わらず、98点 (R27 L27 S22 W22)だった。

ところで、大学院の留学資金が直前になっても足りなかった。学部に比べると格安だったが、大学院の授業料が年間で35万円ほど、生活費が月に12万円ほど必要だった。

生活費のために大学院生向けの貸与奨学金を借りた。

また、交換留学の時に一時的に資金を融通してもらい、帰国後も何かと面倒を見てくれた祖父が、「(筆者)は日本にいるより、海外の方が合っているのは見てて分かる。海外の大学で頑張ってきて。応援しているから。」と言って、支度金を出してくれた。

祖父には自分の人生で会った人の中で一番感謝している。

最初の半年がきつかった大学院

自分の大学院は1年間のプログラムで修士論文を書く必要は無かった。(海外の経済学修士はそのパターンが多い。)

大学院の勉強は初めの秋学期にあるCourseworkというマクロ経済学、ミクロ経済学、経済数学、計量経済学(統計)が一番きつかった。

その年から計量経済学を除いて、全く新しい3人の先生になった。そのうちの2人の先生の授業の評判は良くなく、講義レジュメと授業の説明の間違いが多く、その割には非常に難しい試験を課された。

朝6〜7時から深夜2時くらいまで、毎日ひたすら授業の勉強をこなしていた。幸い成績は全てAを取得した。

秋学期は国際金融論、政治経済学、労働経済学、応用計量経済学を受講し、理論的に難しくは無かったので余裕があった。

今から考えると、秋学期が終わった時点で半年から1年間休学し、その間に研究や就職を有利にするインターンシップに参加すれば良かった。(その間に勉強もできる。)

また、「時間は全ての問題解決する」であり、1年間ではなく2年間の修士論文を書くプログラムに切り替えておけば博士課程の出願も有利に進められた。

修士課程の冬学期中に、博士課程に出願し、トロント大学から受け入れ通知をもらった。

しかし、修士課程で数学の勉強が足りていない事に気付き、また経済学の細かい理論にあまり面白みを感じず、博士課程を辞退することにした。

ついにTOEFL 100超え!

夏に経済学修士を取得し、秋からバンクーバーで就職活動をし始めた。同時にTOEFL 100点を超えることに未練があり、再び英語の勉強をし始めた。

ルームメイトがイスラエルからのユダヤ人でTOEFLで110点近く取っていた。

Speakingを実演してもらった時に、私は解決の糸口を見つけた。

彼の普段の英語力は私とさほど変わらなかったが、Speakingの点数は28点でとても流暢に回答していた。

彼は即興で説得力のある話を作るのが上手だった。彼はユダヤ人らしくポーカーなどのギャンブルや資産運用に強く、強心臓だった。

私はSpeakingで高得点を取れなかった要因は英語力ではなく、話を作る技術を磨けていなかったことに気づいた。

首尾一貫した説得力のある話を即興で作るために185題のトピックを使って練習をした。通常、私たちの頭の考え方は固いが、練習をすれば自然と柔らかくなり、首尾一貫した話を次々に作れるようになる。

12月にiBTを受験し、ついに 106点 (R29 L27 S23 W27)を取った。

その時のSpeakingの点数は良くなかった。しかし、明らかにスピーキングは上手くなったし、次に受験した時に26点を取れた。

そして、就職活動を途中で私は放り出し、中央ヨーロッパに向かった。

ここでまた人生の価値観を変える出来事にいくつか遭遇するのだがこの記事はここで終える。